「米百俵の想い御膳」売上金の一部を長岡市米百俵財団様へ寄付いたしました
お知らせ
原信では、8月1日~3日に行われた長岡まつりの三日間限定で、長岡名物「醤油赤飯」「栃尾の油揚げ焼」などを詰め合わせた「米百俵の想い御膳」を、長岡市内店舗で販売いたしました。
この売上金の一部20万円を、長岡の子どもたちの未来を応援する人材育成事業に役立てていただくために、長岡市米百俵財団様へ寄付いたしました。
令和元年8月21日 長岡市米百俵財団にて
(写真左側)
公益財団法人 長岡市米百俵財団 理事長 高橋 譲 様
(写真右側)
株式会社 原信 取締役副社長 五十嵐 安夫
【米百俵の想い】- 引き継がれる「米百俵」のいわれ -
商品に米百俵の故事を紹介する下記しおりを添付いたしました。
戊辰戦争に敗れ、焼け野原となった長岡藩は石高を減らされ財政は困窮し、藩士はその日の食にも苦労する状態でした。
そんな窮状を知った支藩の三根山藩から米百俵が贈られることになりました。
藩士たちは
「これですこしでも楽になる」
と喜びましたが、佐久間象山の門下生で、当時の長岡藩大参事「小林虎三郎」は
「時勢に遅れないよう学問や芸術を教え、すぐれた人材を育成しよう」
と百俵の米は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてることにしました。
藩士はこれに抗議し虎三郎のもとに押しかけましたが、それに対し虎三郎は
「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国や町が栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人がもたらすもの。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵にも百万俵にもなり米俵などでははかりしれない尊いものになるのだ。」
と説得しました。
こうして、米百俵を売却して得た資金で国漢学校の新校舎が開校しました。
洋学局や医学局の設置され、藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもも志のある者は入学を許可しました。寅三郎の没後も、その教育方針が貫かれ一人一人の才能をのばす教育がなされ、長岡の近代教育の基礎が築かれました。
後年、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出されました。
【長岡市米百俵財団様ホームページ】
https://kome100.or.jp/
以上
この件に関するお問合せ先
広報担当 専務取締役 山岸 豊後
TEL 0258-66-6711
FAX 0258-66-6727
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